写真は、球磨川第一橋梁を渡る「SL人吉」です。
司馬遼太郎が、「日本でもっとも豊かな隠れ里」と評した人吉・球磨を目指しています。
人吉・球磨は、鎌倉時代から代々700年間、相良氏によって治められ、
盆地という地形で外からの影響を受けることなく独自の文化を育んできました
昨年、「相良700年が生んだ保守と進取の文化」が「日本遺産」に認定されました。
「球磨焼酎」も その41件の構成文化財に含まれています。
 
ぶらり 「球磨焼酎のふる里」人吉・球磨への旅などいかがでしょう。
 
※球磨川第一橋梁
 竣工 1908年(明治41年)
 製作 アメリカン・ブリッジ社
 所在地 八代市坂本町鎌瀬
    ・球磨川第二橋梁(球磨郡球磨村渡)もアメリカン・ブリッジ社製で1908年竣工です。
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
岩屋熊野座神社は、初代 相良長頼公が寛喜年中(1229~1231年)に勧請し創建したと伝えられています。
以来、領主相良氏により度々修造され、熊野信仰の広がりとともに民衆の信仰を集めてきました。
社殿は、平成24年までの3ヶ年をかけ全解体修理を行い、享保12年(1727年)当時の姿に蘇っています。
参道の石造りの鳥居は、元禄14年(1701年)に寄進されたもので、社殿・鳥居ともに国指定の重要文化財です。 
 
所在地/熊本県人吉市東間上町3799番
 
※昨年、「相良700年が生んだ保守と進取の文化」が「日本遺産」に認定されました。
 「岩屋熊野座神社」や「球磨焼酎」も その41件の構成文化財に含まれています。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
井口八幡神社(いのぐちはちまんじんじゃ)は、鎌倉時代の宝治年間(1247~49年)
相良頼親が鎌倉の鶴岡八幡宮を勧請(かんじょう)して創建した神社です。
相良家の武神として歴代の崇敬が篤く、度々の戦に際しては戦勝祈願が行われました。
 
社殿は、元禄12年(1699年)4月の火災ののち、相良頼喬が再興したもので、
桃山様式を伝える優れた社殿です。 
 
所在地 / 熊本県人吉市井ノ口町949
 
※昨年、「相良700年が生んだ保守と進取の文化」が「日本遺産」に認定されました。
 「井口八幡神社」や「球磨焼酎」も その41件の構成文化財に含まれています。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
写真は、球磨川沿いを走る「SL人吉」です。人吉駅へ向かっています。
 
 
 
※松の泉酒造へのアクセス・・・人吉駅で「くま川鉄道」に乗り換え「あさぎり駅」で
 下車。そこから徒歩5分ほどで着きます。
 ●お店 午前8時~午後5時30分 (定休日 日曜日)
 ●お食事処 午前11時~午後2時30分 (定休日 日曜日・月曜日 ※月曜が祝日の場合は営業いたします)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
林 正盛は、人吉から八代(約50km)までの水運を開き、人吉・球磨の人達に「球磨川開削の恩人」と呼ばれています。
 
相良藩の御用商人だった林 正盛は、寛文2年(1662年)私財を投げうって、
球磨川に無数にあった巨岩を取り除く工事に着手しました。
大変な難工事の末、寛文5年(1665年)には、川舟の航行が可能な開削が完成しました。
 
それ以来、球磨川は、外部との交通・物流の幹線として、また、参勤交代に利用されるなど、
人吉・球磨地方の発展に多大な貢献を果たしてきました。
舟運は明治41年(1908年)、国鉄肥薩線が八代ー人吉間に開通するまで盛んに
行われてきましたが、やがて舟運は、「球磨川下り」として生まれ変わりました。
 
※昨年、「相良700年が生んだ保守と進取の文化」が「日本遺産」に認定されました。
「球磨川」や「球磨焼酎」も その41件の構成文化財に含まれています。
※写真は「球磨川下り」の様子です。
 
 
 
 
 
 
 
 
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