林 正盛は、人吉から八代(約50km)までの水運を開き、人吉・球磨の人達に「球磨川開削の恩人」と呼ばれています。
 
相良藩の御用商人だった林 正盛は、寛文2年(1662年)私財を投げうって、
球磨川に無数にあった巨岩を取り除く工事に着手しました。
大変な難工事の末、寛文5年(1665年)には、川舟の航行が可能な開削が完成しました。
 
それ以来、球磨川は、外部との交通・物流の幹線として、また、参勤交代に利用されるなど、
人吉・球磨地方の発展に多大な貢献を果たしてきました。
舟運は明治41年(1908年)、国鉄肥薩線が八代ー人吉間に開通するまで盛んに
行われてきましたが、やがて舟運は、「球磨川下り」として生まれ変わりました。
 
※昨年、「相良700年が生んだ保守と進取の文化」が「日本遺産」に認定されました。
「球磨川」や「球磨焼酎」も その41件の構成文化財に含まれています。
※写真は「球磨川下り」の様子です。
 
 
 
 
 
 
 
 
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