鎌倉初期の建久9年(1198年)、源頼朝の命を受け、
遠江国相良(とうとうみのくにさがら・現在の静岡県)より人吉荘の地頭として着任した相良長頼が、
人吉城の城主となり、以後、相良氏は、代々700年にわたり在城しました。
 
人吉城は、球磨川と胸川を堀とし、また、山の斜面や崖を城壁とし、自然を巧みに利用して築かれています。
写真は、幕末に造られた、最上部の平らな石が突き出した、「はね出し」という工法を応用した
「武者返し」と呼ばれている石垣です。
この工法は、函館の五稜郭や江戸湾台場などで見られるヨーロッパ式の石垣です
 
人吉城跡は、これから桜の見頃を迎えます。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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