幸野溝(こうのみぞ)は、
約300年前の江戸時代に、荒れ地の開拓のため相良藩士の高橋政重によって造られた、
球磨川から取水する溝です。
工事の着手は1696年。以来、洪水による堰の流失や資金難などの幾多の困難を克服し、
10年目の1705年に完成しました。
写真は、球磨郡湯前町の幸野溝です。
この後、溝は多良木町を通り、
当社焼酎蔵のある あさぎり町を流れます。 (全長 約15,4km 灌漑面積 約1400ha )
溝から縦横に走る水路が、現在もこの地を潤し、豊かな恵みをもたらしています。
※このほど「相良700年が生んだ保守と進取の文化」が「日本遺産」に認定されました。
「百太郎溝と幸野溝」や「球磨焼酎」も その41件の構成文化財に含まれています。