明治の初めまで球磨川には定まった表記はなく、求麻、求磨、球磨の文字が使われていました。

昔・・・八代の海に近い球磨川の川岸に住んでいた人々が、川上から流れてくる麻の葉を見て驚きました。

それは野生の葉が枯れて流れてきたものではなく、明らかに人の手によって摘み取られた葉であったからです。それによって人々は川上に人が住んでいることを知り、麻を求めて尋ね上がったのが「求麻」の文字の由来と伝えられていますが、これと同じ話は伝説として日本各地にあります。

しかし、この話が伝説としても、昔は険しい山々に囲まれた球磨盆地へ外部から容易に入れなかったのは確かなようです。

写真は、球磨盆地を抜け球磨村を流れる球磨川です。川はこの後、山峡を急流となって下り、約50km離れた八代海に注ぎます。

 

 

 

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