人吉城跡は、「日本紅葉の名所100選」に選ばれている紅葉の名所です。
写真は御下門跡 (撮影 11月17日)
※鎌倉初期の建久9年(1198年)、源頼朝の命を受け、遠江國相良(とうとうみのくにさがら・現在の静岡県)より人吉荘(人吉・球磨地方)の地頭として着任した相良長頼が、人吉城の城主となり、以後、相良氏は、代々およそ700年にわたり在城しました。
発船場を出発した木舟は、これから球磨川を下ります。
舟の後方は、鎌倉時代から幕末までの およそ700年間、人吉・球磨地方を治めた相良氏の居城「人吉城跡」です。
※球磨川くだり 球磨川は、昔から舟による物資や人の輸送が盛んに行われてきましたが、明治42年(1909年)の
肥薩線の開通により、輸送手段が鉄道に奪われ舟運は衰退しました。その後、使われなくなった舟を使っての「球磨川くだり」が誕生し、人吉・球磨の観光の目玉となりました。
写真は、球磨川第二橋梁(球磨郡球磨村)を渡る「SL人吉」です。
峡谷の球磨川沿いを走ってきた列車は、ここから平野部に入り「人吉駅」を目指します。
※当社焼酎蔵へのアクセス 「JR人吉駅」に隣接する くまがわ鉄道「人吉温泉駅」で乗車し、「あさぎり駅」で下車。そこから徒歩5~10分で「松の泉酒造」に着きます。
「SL人吉」が、JR肥薩線の球磨川第一橋梁(八代市坂本町)を渡り「人吉駅」へ向かっています。
この後、列車は、トンネルを抜け、より深い峡谷に入り、球磨川沿いを煙と蒸気をはきながら力強く走ります。
※球磨川第一橋梁と球磨川第二橋梁(球磨郡球磨村)の架橋竣工は、共に明治41年(1908年)です。
製作は、アメリカン・ブリッジ社で、鉄骨を組んだトラスト部は、ニューヨークで製造され、日本に運ばれました。
※人吉市は、球磨盆地(東西約30km、南北約15km)の最も西に位置していて、球磨焼酎蔵元 松の泉酒造は、盆地のほぼ中央にあります。
この度の台風19号によりお亡くなりになられた方々に、哀悼の意を表しますとともに、
被災された皆様に謹んでお見舞い申し上げます。
写真は、球磨郡多良木町の「青蓮寺阿弥陀堂(しょうれんじあみだどう)」です。
永久3年(1295年)に上相良家第3代 相良頼宗が、初代 頼景公の菩提のために創建しました。
厚い茅葺屋根の阿弥陀堂は、、鎌倉時代の様式を今に伝える代表的な建造物として、国の重要文化財
に指定されています。
人吉・球磨地方へお出かけの折には、当社 焼酎蔵にお立ち寄りください。
(定休日 焼酎蔵ー日曜 お食事処ー日曜・月曜)