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球磨盆地(東西約30km・南北約15km)の最も東寄りの地域を奥球磨と言います。

奥球磨・湯前町の「城泉寺(じょうせんじ) 」は、鎌倉時代の初めに、この地の豪族・久米氏の菩提寺として建てられました。茅葺き・寄棟造りの阿弥陀堂は、熊本県内最古の木造建築物(国指定重要文化財)です。

※当社の焼酎蔵は、球磨盆地の中央、中球磨と呼ばれるところに位置しています。

 当社から「城泉寺」までの距離は、約11kmです。

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写真は、麓城跡です。球磨郡あさぎり町の標高約270mの場所にある山城で、戦国時代、この地を治めた豪族上村氏の居城でした。

城跡は、紅葉の名所としても知られています。 (撮影 11月17日)

※日本七薬師のひとつに数えられる「谷水薬師」の本堂横から延びる遊歩道を進むと、約10分程で城跡に着きます。当社の焼酎蔵から「谷水薬師」までの距離は約5kmです。

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人吉城跡は、「日本紅葉の名所100選」に選ばれている紅葉の名所です。

写真は御下門跡 (撮影 11月17日)

※鎌倉初期の建久9年(1198年)、源頼朝の命を受け、遠江國相良(とうとうみのくにさがら・現在の静岡県)より人吉荘(人吉・球磨地方)の地頭として着任した相良長頼が、人吉城の城主となり、以後、相良氏は、代々およそ700年にわたり在城しました。

 

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発船場を出発した木舟は、これから球磨川を下ります。

舟の後方は、鎌倉時代から幕末までの およそ700年間、人吉・球磨地方を治めた相良氏の居城「人吉城跡」です。

※球磨川くだり  球磨川は、昔から舟による物資や人の輸送が盛んに行われてきましたが、明治42年(1909年)の

肥薩線の開通により、輸送手段が鉄道に奪われ舟運は衰退しました。その後、使われなくなった舟を使っての「球磨川くだり」が誕生し、人吉・球磨の観光の目玉となりました。

 

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写真は、球磨川第二橋梁(球磨郡球磨村)を渡る「SL人吉」です。

峡谷の球磨川沿いを走ってきた列車は、ここから平野部に入り「人吉駅」を目指します。

※当社焼酎蔵へのアクセス 「JR人吉駅」に隣接する くまがわ鉄道「人吉温泉駅」で乗車し、「あさぎり駅」で下車。そこから徒歩5~10分で「松の泉酒造」に着きます。

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