井口八幡神社(いのぐちはちまんじんじゃ)は、鎌倉時代の宝治年間(1247~49年)
相良頼親が鎌倉の鶴岡八幡宮を勧請(かんじょう)して創建した神社です。
相良家の武神として歴代の崇敬が篤く、度々の戦に際しては戦勝祈願が行われました。
 
社殿は、元禄12年(1699年)4月の火災ののち、相良頼喬が再興したもので、
桃山様式を伝える優れた社殿です。 
 
所在地 / 熊本県人吉市井ノ口町949
 
※昨年、「相良700年が生んだ保守と進取の文化」が「日本遺産」に認定されました。
 「井口八幡神社」や「球磨焼酎」も その41件の構成文化財に含まれています。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
写真は、球磨川沿いを走る「SL人吉」です。人吉駅へ向かっています。
 
 
 
※松の泉酒造へのアクセス・・・人吉駅で「くま川鉄道」に乗り換え「あさぎり駅」で
 下車。そこから徒歩5分ほどで着きます。
 ●お店 午前8時~午後5時30分 (定休日 日曜日)
 ●お食事処 午前11時~午後2時30分 (定休日 日曜日・月曜日 ※月曜が祝日の場合は営業いたします)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
林 正盛は、人吉から八代(約50km)までの水運を開き、人吉・球磨の人達に「球磨川開削の恩人」と呼ばれています。
 
相良藩の御用商人だった林 正盛は、寛文2年(1662年)私財を投げうって、
球磨川に無数にあった巨岩を取り除く工事に着手しました。
大変な難工事の末、寛文5年(1665年)には、川舟の航行が可能な開削が完成しました。
 
それ以来、球磨川は、外部との交通・物流の幹線として、また、参勤交代に利用されるなど、
人吉・球磨地方の発展に多大な貢献を果たしてきました。
舟運は明治41年(1908年)、国鉄肥薩線が八代ー人吉間に開通するまで盛んに
行われてきましたが、やがて舟運は、「球磨川下り」として生まれ変わりました。
 
※昨年、「相良700年が生んだ保守と進取の文化」が「日本遺産」に認定されました。
「球磨川」や「球磨焼酎」も その41件の構成文化財に含まれています。
※写真は「球磨川下り」の様子です。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
熊本の県民性を表す言葉とし、てよく使われているのが「肥後もっこす」で、
「津軽じょっぱり」や「土佐いごっそう」と共に日本三大頑固の一つに数えられています。
 
「肥後もっこす」は、純粋で正義感が強く、
一度決めたら梃(てこ)でも動かないほど頑固で妥協しない反骨精神のある人です。
 
その熊本県人の気質を銘柄にした「球磨焼酎 もっこす」は、
ゆっくりと歳月をかけて磨かれた古酒との調和による円熟した味わいです。
ストレート、水割り、ロックでどうぞ。
 
 
黒麹仕込 / 減圧蒸留 / 25度
原材料 / 米・米麹
容量 / 300ml、900ml、1800ml
 
 
 
 
 
 
 
 
 
写真は、当社焼酎蔵に隣接する自社田です。
6月10日に植えられた苗は、梅雨空の下、
しっかりと田んぼに根を張っていました。
 
この田の要所には、備長炭が埋められています。
これは、水をつくることから始めて米をつくるためです。
 
蔵人によってつくられ収穫された米は、
球磨焼酎「精選 水鏡無私(せいせん すいきょうむし)」の原料になります。
 
 
 
 
 
 
 
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