写真は、球磨盆地 (東西約30km、南北約15km)の最も東に位置する
「霊峰 市房山(1722m)」です。
山は、季節によって、
また、1日の始まりから終わりまでの移りゆく時間によって、
さまざまな表情を見せます。
「更け行く秋の夜、旅の空の、わびしき思いに、一人悩む。恋しやふるさと、なつかし父母 ~」
犬童球渓(いんどうきゅうけい 1879~1943)の訳詩による「旅愁」を聞くと誰もが少し感傷的になります。
犬童球渓は人吉市に生まれ、東京音楽学校を卒業し、音楽教師として各地を転々としました。
新潟高等女学校に赴任していた期間、ジョン・P・オードウェイの「家と母を夢見て」の曲を知り、故郷の人吉から遠く離れた自分の心情と重ね合わせ、この訳詩を作りました。
秋の夜は、懐かしいふる里を思い描きながら、静かに「松の泉」とともにお過ごしください。
写真は人吉城址です。(撮影 11月16日)
幸野溝(こうのみぞ)は、
約300年前の江戸時代に、荒れ地の開拓のため相良藩士の高橋政重によって造られた、
球磨川から取水する溝です。
工事の着手は1696年。以来、洪水による堰の流失や資金難などの幾多の困難を克服し、
10年目の1705年に完成しました。
写真は、球磨郡湯前町の幸野溝です。
この後、溝は多良木町を通り、
当社焼酎蔵のある あさぎり町を流れます。 (全長 約15,4km 灌漑面積 約1400ha )
溝から縦横に走る水路が、現在もこの地を潤し、豊かな恵みをもたらしています。
※このほど「相良700年が生んだ保守と進取の文化」が「日本遺産」に認定されました。
「百太郎溝と幸野溝」や「球磨焼酎」も その41件の構成文化財に含まれています。