人吉球磨地方に伝わる「相良三十三観音」は、鎌倉時代の創建とされ、
一番札所から三十三番札所までを巡り終えると、ちょうど球磨盆地を一周したことになります。
毎年、春と秋のお彼岸には、すべての観音堂が一斉に開帳されます。
地元の人たちによるお茶やお菓子でのお接待もあり、
温かいおもてなしと地元の人たちとのふれあいも楽しむことができます。
写真は、球磨郡錦町にある、三十二番札所の「新宮寺六観音(しんぐうじろくかんのん)」です。
 
※当社の焼酎蔵からの距離は、約10km。
 
今年、相良700年が生んだ保守と進取の文化」が「日本遺産」に認定されました。
「相良三十三観音巡り」と「球磨焼酎」も その41件の構成文化財に含まれています。
 
 
 
 
 
 
 
 
球磨郡山江村の「山田大王神社」は、相良氏以前のこの地方の地頭であった平河氏を祀る神社です。
本殿は、室町時代の天文15年(1546)、拝殿及び神供所(じんくしょ)は、
宝暦11年(1761)、本殿覆屋(ほんでんおおいや)は、安永10年(1781)の建立です。
「山田大王神社」は、南九州でも中世の神社建築を知ることのできる数少ない建造物で、
保存状態も良く大変貴重な存在です。(国指定重要文化財)
神社の裏山一帯は、かって平河氏や永留氏が城主であった山田城跡です。
 
今年「相良700年が生んだ保守と進取の文化」が、「日本遺産」に認定されました。
「山田大王神社」や「球磨焼酎」も その41件の構成文化財に含まれています。
 
 
 
 
 
 
 
 

 

写真は、球磨盆地 (東西約30km、南北約15km)の最も東に位置する

「霊峰 市房山(1722m)」です。

山は、季節によって、

また、1日の始まりから終わりまでの移りゆく時間によって、

さまざまな表情を見せます。

 

 

 

 

 

 

 

 

「更け行く秋の夜、旅の空の、わびしき思いに、一人悩む。恋しやふるさと、なつかし父母 ~」

犬童球渓(いんどうきゅうけい 1879~1943)の訳詩による「旅愁」を聞くと誰もが少し感傷的になります
犬童球渓は人吉市に生まれ、東京音楽学校を卒業し、音楽教師として各地を転々としました。
新潟高等女学校に赴任していた期間、ジョン・P・オードウェイの「家と母を夢見て」の曲を知り、故郷の人吉から遠く離れた自分の心情と重ね合わせ、この訳詩を作りました。

秋の夜は、懐かしいふる里を思い描きながら、静かに「松の泉」とともにお過ごしください。

写真は人吉城址です。(撮影 11月16日)

 

 

 

 

 

幸野溝(こうのみぞ)は、

約300年前の江戸時代に、荒れ地の開拓のため相良藩士の高橋政重によって造られた、

球磨川から取水する溝です。

工事の着手は1696年。以来、洪水による堰の流失や資金難などの幾多の困難を克服し、

10年目の1705年に完成しました。


写真は、球磨郡湯前町の幸野溝です。

この後、溝は多良木町を通り、

当社焼酎蔵のある あさぎり町を流れます。 (全長 約15,4km 灌漑面積 約1400ha )


溝から縦横に走る水路が、現在もこの地を潤し、豊かな恵みをもたらしています。

 

※このほど「相良700年が生んだ保守と進取の文化」が「日本遺産」に認定されました。
 「百太郎溝と幸野溝」や「球磨焼酎」も その41件の構成文化財に含まれています。

 

 

 

 

 

 

 

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