明治の初めまで球磨川には定まった表記はなく、求麻、求磨、球磨の文字が使われていました。
昔・・・八代の海に近い球磨川の川岸に住んでいた人々が、川上から流れてくる麻の葉を見て驚きました。
それは野生の葉が枯れて流れてきたものではなく、明らかに人の手によって摘み取られた葉であったからです。それによって人々は川上に人が住んでいることを知り、麻を求めて尋ね上がったのが「求麻」の文字の由来と伝えられていますが、これと同じ話は伝説として日本各地にあります。
しかし、この話が伝説としても、昔は険しい山々に囲まれた球磨盆地へ外部から容易に入れなかったのは確かなようです。
写真は、球磨盆地を抜け球磨村を流れる球磨川です。川はこの後、山峡を急流となって下り、約50km離れた八代海に注ぎます。
「ガラ」と「チョク」は、球磨焼酎伝統の酒器です。
「ガラ」に球磨焼酎を入れ、そのまま火にかけ お燗をし、それを一口分しか入らない小さな盃の「チョク」で飲みます。
球磨・人吉地方では、球磨焼酎を飲みはじめる時には、先ず最初の一杯は、決してそのまま口にもっていかず、いろりで飲む場合は、いろりのすみに、座敷で飲む場合は、床の間のすみに、野外での酒盛りの場合は、座っている場所のどこか適当な所に必ず一滴だけを落としてから口へもっていく・・・
「先ず神様へ捧げてから、おみきをいただく」という信仰からの習慣がありました。こういう信仰の念は「神人合一の境」に至るまでチョクをなめ合う「献酬の習慣」に残されています。チョクを差し出すのに一回では許されず、二回は献杯、返杯をしなくてはなりません。
その積み重ねが「神人合一の境」へ人を入らしめるのだといわれています。
球磨郡水上村にある霊峰 市房山(1722m)は、球磨盆地の最も東に位置し、
写真は、球磨盆地を流れる球磨川と市房山の遠景です。
写真は、人吉市の紅取丘(べにとりおか)公園から見た球磨盆地(東西約30km、南北約15km)です。
写真手前は、人吉市を流れる球磨川で、右奥は、盆地の南に位置する白髪岳(1417m)です。
白髪岳に降った雨は、歳月をかけて花崗岩をくぐり抜け、麓の谷水薬師に湧出します。
この名水と源を同じくする水が、当社の焼酎蔵の地下を流れています。
「松の泉」の焼酎づくりには、この良質な地下水が使われています。