6月11日に、当社の焼酎蔵に隣接する自社田で田植えを行いました。
田んぼの要所には、水を濾過するために備長炭が埋められています。
田植えの後、人の手による除草作業や、田んぼ全体をマイナスイオンで覆うため
水を霧状に散布したりと多くの手間をかけ育ててきました。
10月8日の午後、コンバインで稲を刈り、籾(もみ)を収穫しました。
あぜ道には彼岸花が咲き、赤とんぼがのんびりと飛んでいました。

この後、籾は乾燥、精米を経て焼酎に仕込まれ「精選 水鏡無私」になります。
水をつくり、米をつくることからこだわった
球磨焼酎「精選 水鏡無私」の
滑らかな味わいをお楽しみください。
 
 
 
 



百太郎溝(ひゃくたろうみぞ)は、球磨郡多良木町の球磨川から取水し、多良木町、松の泉酒造のある あさぎり町を通り、錦町までに至っています。全長は約19km、灌漑面積は約1500ヘクタールに及び、球磨盆地に大きな恵みをもたらしています。
水路が築かれる以前のこの地域は、慢性的な水不足のため恒常的に稲作ができず、雑穀しかとれないというひどい乾燥地帯でした。
百太郎溝の工事が始まったのは、鎌倉時代ではないかといわれています。
堰は洪水で何度も流され、百太郎という人物を人柱として、やっと大堰の基礎ができたといわれるほどの難工事でした。
多数の農民によって長い年月をかけて工事が行われた百太郎溝の完成は、宝永7年(1710年)と記されています。

※写真は、百太郎溝取水口旧樋門です。
 当社の焼酎蔵から百太郎溝までは、約8kmの距離です。

 

 

 

 

 
 
「球磨で名所は青井さんのご門」と唄われている青井阿蘇神社のシンボルである茅葺きの楼門をはじめ、
本殿、廊、幣殿、拝殿等が、2008年、国宝に指定されました。
人吉市にある青井阿蘇神社は、大同元年(806年)の創建といわれていますが、現在の建物は、
慶長18年(1612年)相良藩 第20代藩主 相良長毎公が再建されたものです。
全体の構造は鎌倉時代の様式ですが、手法は安土桃山時代の典型的な特徴を持っています。
 
10月3日から11日まで、青井阿蘇神社例大祭「おくんち祭」が開催され、9日の御神幸行列では、
神輿、獅子舞、神馬、稚児などの長い行列が人吉の中心市街地を練り歩きます。
 
※写真は、楼門を境内側から撮影しています。
 
 
 
 
 
球磨盆地は、朝夕、涼しく感じるようになりました。
これから周りの景色が、少しづつ秋の色に染まっていきます。
 
※当社の隣町、球磨郡多良木町で撮影。 右の川は球磨川です。
 
 
 
 
 
 
 
球磨川の源流は、球磨郡水上村の九州山地です。
球磨盆地(東西約30km、南北約15km)を東から西へ、
盆地のほぼ中央の松の泉酒造のある、あさぎり町を経て人吉市へ流れていきます。
写真は、人吉市の中心部を流れる球磨川です。
太公望が、30cmを超える尺アユ釣りにチャレンジしています。
 
※人吉は「いで湯の里」・・・球磨川沿いには、温泉旅館やホテルが立ち並び、
街中には、立ち寄りOKの温泉が多数点在しています。
やわらかいお湯が、やさしくからだと心を癒してくれます。
 
 
 
 
 
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